子供の頃の思い出

1980年代に少年だった頃の夢は、父の仕事の跡継ぎでした。地元でスナックを営んでいた父を見て育ったので、当たり前のように過ごしていました。東電や原発関連の人が当たり前のように毎晩どこかで接待を繰り広げ、比較的私が住んでいたところは、飲食店も多い方でした。勿論原発関連で仕事が多いというのも関係してるんですが、自宅がお店だったので、酔っ払った大人が、東電社員を天皇のように扱っている話も聞いたことがあるし、毎晩日本の原発メーカーが東電社員を接待しているなどというのはどこでも聞ける話でしたし、それが当たり前の世界だと思っていました。単身赴任で来ている人なんてほんとやりたい放題で、いたるところに愛人などを作っているんじゃないかというぐらい凄い人もたくさんいました。

中学生になると、逆にこの町での閉塞感を感じるようになりました。このままこの地域で生活すると、原発関連の仕事につくか、自営業などで飲食店をするか、学校の先生、役場などの公務員になるか、ぐらいしかこの地域でメインストリームというかそれなりな生活をするには職業としては、それぐらいしかないような気持ちになっていました。もちろん、それ以外もあるんでしょうが、周りの大人を見渡すとほとんどそれしかないのではないかと感じるくらい、皆そうでした。学校から帰る駅前では、福島原発へ働きに行く人たちのバスからたくさんの人達が15時くらいから、ぞろぞろ出てきて、浪江町駅前近辺の飲食店で食事をして帰って行きます。そして、21時以降はもっとお偉いさん方の接待で街は賑わいます。少年時代はそんな大人を見ても羨ましいなあ、などと思いませんでしたが、大人になると、ちょっと羨ましいと思ったこともありました。

中学生ぐらいから感じていた閉塞感は、高校を卒業したら町を出るということで、無くなって行きました。もちろん、ふるさとだったので、たまに帰省して、行きたいお店で飲んだり、友人と昔話をして無駄に盛り上がるというコンテンツは、人生の中でもトップ3に入れたいぐらいの楽しみです。また楽しく話せる日が来ればいいですね。

今回、子供の頃に感じていた閉塞感とか妙な記憶を忘れかけていたのですが、また蘇りました。