会社などの組織で、社員を教育するとは?

学校などを出て、会社なりの組織に入り、それなりの教育を受けて、先輩社員と同じような仕事ができるようになるのと。どうせなら、組織に入ったとしても、なるべく不人気で、裁量権がある(ある意味ほったらかしかもしれない)けど、責任も取らされるような仕事をどんどんするのでは、どちらがいいのでしょうか?
 
社員教育をすることで、組織が社員に望む行動、業務、考え方などをある程度のレベルまで上げることはできるとは思います。マニュアル化されたサービスなどを徹底することで一定の品質を保ち組織を拡大させて行くというのは、理に適っているように思えます。
 
マックジョブと言われるような仕事などは、仕事のマニュアル、ルールなどを作る一部のピラミッド型組織の上層部であるクリエイティブ階層が、仕事をルーチン化し、効率よく作業ができる仕組みを考え、それを組織のメンバーへ徹底していき、マニュアル、会社の指針、理念などを熟知したメンバーの中から、よりよいルールを考えられる人達を厳選して、上位の階層に持って行き、さらに新しいルールを考えて、より強固に徹底していく、 そのための社員教育であるのかもしれません。と書きながら、社員教育というものをまともに受けた事もないので、だいぶ想像で書いているところもありますが。
 
組織で見た場合には、組織にいる人間がある一定のレベルの仕事を教育によって担保していることは、大量生産、効率的な仕事をするなどにおいて、非常にいい方向に行く事が多いと思います。しかし、その分新しい分野にある一定レベルの人達を注ぐことは難しい面もありそうです。
なぜなら、ある一定のレベルで仕事ができる人達は、経営陣が計算できる仕事をさせることが多いように思うからです。組織レベルで社員をある意味、生かさず殺さずの状態にさせてしまう事もあります。意図的かどうかはおいておいて。まああるレベルになると、仕事を選り好みして文句を言うようになってしまうということもありますが、、

※例えば、大きい規模のPJしかしたことがない人が、1人でやらないといけない仕事をしなければいけなくなった場合に、全部自分でやらないと行けなくなる現場に行くことは難しいです。大きい案件をやる会社というのは、限られます。そうするとなかなか他の会社などで、仕事ができなくなるなど。

 
組織の中で、制約付きの最適解を出せることを覚えたら、次は破壊的なことを考えて実践することを考えたいところです。そこまで脳内妄想が炸裂できるようになったら、会社とか組織とかもうどうでもよくなる気がしそうです。そう考えると、組織の制約、社員教育による行動、考え方の強制みたいなものがある環境にはあまり行きたくないなと思います。まあそういうところからはお呼びもかからないのかもしれませんが。
思考して答えを考え続けることが、一番の社員教育じゃないの?とか思います。まあ教育とか、勉強とか大人なんだから各位好きにやればいいじゃないとは個人的には強く思います。考える余地がそれなりにないと面白くない気がします。
どんな仕事が来るかは、タイミングだと思いますし、やりたい仕事を明確に持っているタイプではないので、来たものを考えることの方が案外難易度が高かったり、想像していない事だったりするので、面白みを感じたりもします。それこそ、どう料理してみようか毎回悩むのが楽しみだったりします。
 
教育はする側が評価の対象であり、される側は、組織なり社会なりの都合上でしかない場合もあるような気がします。