これからの自己責任

未曾有の東日本大震災から1ヶ月以上たちますが、まだまだ避難所生活を強いられ、生活の先行きが見えない人も多く、原発の問題は長期戦となりそうです。ここ1ヶ月あまりいろいろなことを考えますが、やはり震災前とは違い何か心が落ち着かない気持ちのまま過ごしているような気がします。

特に今回は放射能について一連の情報を見ていると、目に見えず発表される数値などは専門的で、瞬時に判断することが非常に難しい問題だと思います。政府が繰り返し「ただちに健康への影響は出ない」という言い回しも曖昧な表現だと思いました。
twitterなどで個人同士の情報交換が瞬時にでき、個人で持つ情報量は圧倒的に増えたことで、情報や知識を得ることでより豊かな生活ができることをここ数年実感していたのですが、今回のような原発事故などで放射能という誰も立ち入れない状況で、正確な状況が分からない状態のものについては、かえって推測などの情報が混在し余計に分かりづらい事が多かたったと思います。

情報を得ることである程度の知識レベルの状態になることは、高度に情報化された昨今では、ある程度容易だと思います。そこから先に行くには、情報を分析し判断する力が必要になってきます。政府などの大きい組織は、迅速な対応が求められるようなことについては、機動力がなく対応が後手後手に回りがちです。被災者や避難民への生活支援についても、対応が遅く感じます。緊急時でも手続き上の問題が邪魔をするという残念な仕様によるものだから、しょうがないといえばしょうがないのかなと思います。

そういったいざとなったとき、ありえないような状況になった時に、市井の身の自分は、どう自己防衛することができるのか?そして何を守るのか、そういうことを考えるようになりました。
緊急事態になった場合は昨日と今日でまるで世界が変わってしまう状況になります。そもそも緊急事態の時だけではなく、世の中はそもそも緩やかに変わってきているだけで、本来内在化しているリスクが今回露呈しただけであるとも考えられそうです。

これからは国家レベルでも対応することが困難なことが、今回の震災を機会に充分に起こりうるということが分かりました。個人でどこまで自己防衛できるか、家族などをどこまで守れるかというぐらいまで考えておいたほうがいいということが充分すぎるほど分かりました。