努力や成果が給与で報われないと思った時に考えてみたこと

仕事で正当な評価を得られていない。対価が支払われていないって思った時に考えたいことについて書いてみたいと思います。給与交渉する前にコストについて考える以前に、まずはそもそもどういう評価がされているのかを、冷静に俯瞰して見れないと話にならないのでは?と思ったのでエントリーを割いてみました。

やっている割には、頑張ったけれども、残業代もでない。等々働くことに対しての対価は非常に理不尽に感じたりもすることが多いことでしょう。そもそも人が評価する・されるという時点で、公平で公正なものなんてものは存在しないのかもしれません。人である以上常に公正・公平な評価ができないというのは、自分が逆の評価者になった場合に思います。全く公正な目で人が人を評価することなんてたぶん不可能です。

しかしながら、人が組織の構成員であり、縦割り構造が社会の基本みたいなところがありますから、ある一定のポジションなり、経験がある人が部下を評価するというのは、現時点では一番合理的に見えます。

最近は、昔のように仕事があってお金をもらうだけでは、労働意欲が起きません。もっと承認欲求だったりといった高度な欲求?を求める傾向が強いようです。実際優秀クラスタの人たちほど、こういうお金だけじゃない、自己実現欲求のようなものが高いのだと思います。

この自己実現欲求や、他者からの承認欲求ほど厄介なものはないと思います。やりがいや、自分の好きを仕事にみたいな事をできるのは、実はサラリーマンで食べるためには、なかなか難しいことです。特に、まだ経験も実績もない若い世代にとっては余計に難しいことだと思います。
かつては「石の上にも3年」と言われたような時代ではなく、先行きは誰も分からないので、仕事を始めて、合わないと思ったらすぐに辞めた方がいいと思います。つまらんという理由で辞めるのではなく、働く仕事の中身で考えてであれば余計に。職種・業界も全く変えたいのであれば、早め早めに動いた方がいいでしょう。

仮に、所属している組織に明確な評価基準があり、それに対してコミットすることで、評価される状態であれば、自己啓発本などで自らを鼓舞し、自らを改善することで目的に近づくことができるという考え方は、個人的な目的に到達するという意味では、最短で効率的だし、実際にそうでしょう。

結局、何が言いたいか分からなくなってきましたが、評価される側よりも早く評価する側に回りなさいってことでしょうか。評価する側になったら今度はまた、別の評価軸が出てくるんですが、それはその人の市場価値っていうことで納得感がでるかもしれません。つまりは、お金での評価ってことですが、その市場の評価が公正で公平であるかどうかはおいておきます。