私たちはこうして「原発大国」を選んだ

豊かさを求めて「原発大国」を選んだ唯一の被爆国・日本。核の傘の下で平和憲法を制定した日本。このねじれを政財官の動き、映画等の文化を題材に検証。戦後の各時代からの各論形式で語られています。

「ハンタイ」対「スイシン」のような二元論ではなく、本当に検討すべき問題は、「核か、核ではないか」ではなく、「弱者を虐げる社会か、そうではないか」という主従関係を見失いたくない。つまりは、分かりやすいイデオロギー的にぶれることなく、できるだけ正確なリスク評価の上で、自分の命を守りながら、同時に全体のリスクを減らせる「社会的行為」が選択可能であることを知って欲しい。

ハンタイ派は、生まれ育った地域では確実にメインストリームではなかったと思う。なぜならハンタイ派は、せいぜい地元住民などの小さい組織であり、スイシン派は、いわゆるお国だ。福島原発も作ったときは、仙台のように周辺が発展すると当初は期待していたことだろう。しかし、現実は雇用がある程度よくなり、都会に出稼ぎにでなくなった程度、街の公共施設が綺麗になった程度だし、もちろん仙台のようになるには程遠い。その後あの辺りが選択したのも、結局は原発の増設しかなかったのだと思います。

地元住民が選択したというよりも、選択肢がそれ以外ないというような状態で選択させられたというのが現実で、順応してきたという歴史からの脱却をしないといけないのだなと思います。