組織のガバナンスと責任の取り方

吉田所長の海水注入継続判断について、きわめて重要な議論。組織のガバナンスと責任の取り方について。/典型的な日本型システムの問題点: hamachanブログ http://j.mp/les89tless than a minute ago via Buffer Favorite Retweet Reply

このツイートから、ブログを読んで考えさせられた。もちろん現場で働いている人たちには非常に敬意を感じます。
福島原発での海水注入をめぐる問題について、現場の吉田所長の判断が擁護され、東電本社や政府の対応が批判される。日本人はこういう現場の判断が正しい、トップが無能みたいな話が本質的に好きな気がする。サラリーマンの愚痴はたいていこの手の話が多かったりするから。

つまり、「トップが無能だから」という理由での現場の暴走は、結果としてその「無能なトップ」を守る役割を果たすことになる。「ずるいトップ」なら、そういう「暴走したい現場」を利用して、自らの地位を守ってしまうだろう。そして、それはひょっとすると、「今」起こっていることかも知れない。

トップの意思決定ができないことが、無能だからできないということがまかり通るだけでは、もうどうしようもないのではないかと思う。組織の意思決定としてのシステム化をすることを考えなければならず、誰がトップで責任ある立場になろうとも、有事の際の意思決定ができるための仕組みが必要だろう。
そんな中でも賢明に仕事する人たちは常にいるだろうが、その人たちだけに頼るやり方は、いずれ崩壊するということを肝に命じた方がいい。

日本的解決法の一つが、自分達は官邸の意向を汲んで指示を出したが、それが徹底され無かった、というもの。結果さえよければ、誰も泥を被らないで住む。
>先の解決方法は、全員の責任をぼやかす事により、失敗のリスクを現場に押し付け、丸く収めようとするもの。更に失敗しても、「現場はベストを尽くした」という言説を上手く乗っければ、失敗しても、リスクを最小限にできる。が、これは本来の解決方法ではないはず。
> 当然の事ながら、この場合、官邸と現場の間にいる人間のすべき事は、現場の声を最大限、官邸に届ける事。それにより、官邸にベストの判断を行わせると共に、その決定の責任を負わせる。しかし、今の方向は、明らかに、結果がよかったのだから構わないのだ、という方向に向かっている。

どんな環境でも、成果をそれなりに出す、最善を尽くすことでどうにかなることもあるが、その後反省して、活かされないことが多く。何度も現場の最善に任せてしまうことが多いのではないだろうか。
苦しみを耐える努力ではなく、二度と繰り返さないための最善も考えることで同じ問題を避けることを考えてもいいと思う。