子育てについて思ったこと

「子育て神話」から自由になるために | 橘玲 公式サイト 「子育て神話」から自由になるために | 橘玲 公式サイト
先日、帰省して私の親と、自分の娘とで数日一緒にすごした時に、なんとなく感じて親と話をしたことと、若干似通ったようなことだったので、興味深い。都合いい考えかもしれないが、自分を子供の立場として考えると妙に腑に落ちる。
 
育った環境などでどれくらい関係あるものだろう。
 
私が生まれ育った家は、今はもうすでに店をたたんでいるが、飲食店を経営していて、下からはカラオケが流れるような環境だった。小さい頃から慣れていたので、特に不便を感じたことはない。今思えば、だいぶ不便だったのだけど。幼少期もよく、酔っぱらいの喧嘩で怒号が聞こえたり、酔っぱらいが騒いでるうるさい声はよく聞いた。だからといって、特に影響を受けてグレていた訳ではない。近所の子の中には、グレている子もいただろうが、目立つだけで、同じ様な家庭環境に育ったからといって、そうなるかどうかは、根拠がない気がする。まあ早くこの家は出たいとずっと思ってはいたが。
 
よく家の本棚が大事だとか聞くが、両親はほとんど本は読まなかったし、勉強しろなんて子供に言ったこともない。だからといって私が、本を読む習慣はないわけではないし、本を読んだからどうだってこともないだろう。面白ければ勝手にやる。要は何に興味、関心を持つかは、分からないってことだ。
 
まあ、自分がそう育ったからといって、自分の子供も同じような環境で育てるか?というとそうはしない。せめて自分が育った環境よりも、できる限りいい環境を与えたいと素直に思う。何でそう思うかは分からないが、そうしたいだけ。
 
例えば、塾なんかも、一瞬周りが通っていたので、中学生の頃1年ぐらいだけ通ったことがあるけれども、途中で行きたくなくなったので、行くのは辞めた。今だに後悔はしていないが、自分の子供が行きたいと言ったら、行かせてやりたいとは思う。勉強して大学に行く事も、自由に選択させてやりたいとは思う。人生には、あまり免罪符のようなものがないので、その時々で、最善策を取ろうとすることぐらいしかできない気がする。
 
では、親が子供に対して何ができるんだろう?と考えると、将来自分の子供にできるだけ、心配をかけないってことだけだろう。それが難しいといえば、難しいのだが。
 
親孝行も自己満足でやってるのであれば、いいが、押し付けになっては意味がない。子供が親の面倒を診るのは、かなり過酷だし、覚悟もいる。
 
親元離れてから、15年くらいになるが、物心というか記憶がしっかりしている10歳ぐらいから考えると、親と一緒に過ごした記憶は、7、8年。そのうち家をでて、一人暮らししたいと思ったのが14歳ぐらいからになるから、たかだか10歳前後からの数年。しかし、同じように考えると、田舎の友達なんていうのも、その時期に仲良くなったのが、一生モノだったりするから、それもまた不思議。
 
親になって思うのは、子供が物心ついて自分で考えて行動する前までは、親の既得権益として、かまいたいってそれだけだ。