幸せを努力で手に入れる?

幸せを努力で手に入れようとするから、不幸になったりすることもあるんじゃないかと、最近思ったりします。先日橘玲の「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」を読んでから読後も色々と考えるていることがあります。それは、小学校6年生ぐらいで、自分の人生はだいたい決まってたんじゃないか?ということです。努力をすることで、効率的に幸せになることができるというのは、否定しませんし、どちらかというと賛成派です。しかし、努力から成功を勝ち得て、賞賛される人は、ごくごく少数派なのではないかと思います。少数だから、それだけ価値があるともいえるのですが。無理な努力、面白くない努力をしていると、それだけで人生疲れそうです。
 
自分の人生を冷静に振り返ってみると、それなりに努力をしたと思った時期は、あまり楽しい時期ではなかったと思います。もちろん、努力が足りないから結果が伴っていないだろう。といわれそうですが、例えば、中学生とか高校生ぐらいの頃は、それほど好きでもない勉強だったり、面白くもない事を、今思えばなぜあれほどいやいややっていたのだろう?と思います。学校の勉強とか成績が全然酷かった小学6年生ぐらいの頃が一番楽しかった記憶があります。理由は、好きな事しかしていなかったからだと思います。
 
小学6年生ぐらいの頃の自分が、大人になって肩の力が抜けた時に、一番近い自分のような気がします。そう考えると、小学校6年生ぐらいで自分のキャラクターなどはもう決まっていたんじゃないかと思ったりします。後の人生は、属性が変わったぐらいでしょうか。
 
30歳目前になって、やっと努力することを諦めて小学6年生当時の自分と同じような気持ちになることができてきたような気がしますが、まだまだ好きな事だけしかできない環境には、ほど遠い気がしますが。そもそも、真の努力というのは、努力してることに気がつかない、単に面白くて続けているか、習慣化されているだけのことなのかもしれません。おそらく一番成功するのに効率がいいのは、良い習慣を持っていて、それを継続することが良い結果を生むのでしょう。もちろんずっと同じ習慣だけではなく、習慣自体を見直し、より良い方に改善することも必要です。でも、何が良い習慣かというのは、人によって違うので、正解がないことなのかもしれませんが。
 
自分なんかはそんな継続している良い習慣のようなものはないので、諦めて楽しい事、好きな事だけやる人生を歩みたいと思ったりしています。明日になったら、また気が変わってしまうかもしれませんが。。