「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

 集団が賢明な判断を下すのに必要なの多様性、独立性、分散性であって、必ずしも選ばれたエリート達や、賢明な個人が出した意見が優れているかというとそうではない。もちろん例外もある。

 会社組織においても、階層がピラミッド型になると、決定に対する権限を上位者に委ねることになる。しかし、上位者がその決断に対して必ずしも効果的で最適な答えを持っているとは限らないし、優秀な人が階層の上位者でいるかも分からないからだ。最適解を求めるよりも、責任の所在のための決定なんだろう。本当に優秀な人だったら、どの階層に所属していても、自分の意見を通すような策を講じるだろうし、誰の意見であろうとも、正当な理由だと思える目利きの力も備えているだろう。
 自分の現在の仕事に置き換えて考えてみた。ある程度の集団になると意見の集約が難しく、まとまらないというが、実際どうだろう?と考えてみると、10人以上でミーティングやらとかをやっても主な発言者は2,3人だろう。なぜなら、活発な意見が出すぎるメンバーで10人以上で会議をしたら、正直誰が何を言ってるのか分からない。事前にミーティングの中身がほぼ決まっていて、目的は、情報共有程度だろう。いわゆるファシリテーション役がうまく取り仕切らないと何の会議だったのか、すら分からなくなる。ミーティングが足枷になってると思う人もたくさんいるはずだ。
 そこで、最近使って便利だなと感じているのは、テキストベースのチャット形式でやりとりだ。全員がフラットな状態でそこに参加して、プロジェクトのことについて発言しあう。とかく人数が多いプロジェクトになると情報共有に関わるコストが増えることが多い。課題に関する発言、解決策、情報共有が同時にできるだけでも余分な、ミーティングなどを減らせる効果がある。もちろん、全員が発言しやすい環境であるから、誰かが解答してくれるし、その解決策に対して、同時にレビューもしてもらえるということが可能になる。課題解決において、メンバー全員で当たって解決するということは、プロジェクト型の仕事においては、永遠の課題とも言えるかもしれない。今のところこれ以上効果が上がる解決策はないと思っている。こういうものは、コミュニケーションするための、アプリケーションの技術の進化などによって、どんどん新しい技術が出てくる可能性がある。